⑤真面目でいることが正解?当たり前を疑ったら、少しだけ生き方が変わった話

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「これが当たり前」が、じつは誰かが決めたルールだった

子どものころから私たちは、物語や親の言葉を通じて「当たり前」を覚えてきました。

「いい子は報われる」「人に迷惑をかけてはいけない」「頑張った人が評価される」

——それは教わったというより、いつの間にか自分の中に染み込んでいたもの。だから疑うことすらしなかった。

でも少し立ち止まって考えると、その「当たり前」って、本当に自分に合っていましたか?

小さな「当たり前」を疑ってみたら

私自身、いくつかの「当たり前」を疑ってみたことがあります。

一人暮らしで風邪を引いたとき、病院に行けずに寝て過ごしたら、意外とすんなり治った。

「一日三食」も、食欲がないときは無理して食べない方が身体が軽かった。

お通じが悪いとき、「食べて出す」より「食べない時間を作る」方が自然と改善された。

そんな小さな「当たり前」を疑うたびに、少しずつ身体が楽になっていく感覚がありました。


「頑張らなきゃ」が当たり前になっていた

もっと大きな「当たり前」に苦しめられたこともあります。

会社員をしていたころ、厳しい上司のもとで毎朝2時間の会議が続く日々がありました。

自分が直接詰められなくても、張りつめた空気の中にいるだけでじわじわとメンタルが削られていく感覚。

ある夜、「またあの朝が来る」と思った瞬間、頭の中が「嫌だ嫌だ嫌だ」という言葉で埋め尽くされ、過呼吸を起こして涙が止まらなかったことがあります。

そうなって初めて気づいたんです。「真面目にやらなきゃ」という当たり前が、自分を追い込んでいたことに。


「それなりでいい」という言葉に救われた

その後、良くしてくれていた同僚にこんな言葉をもらいました。

「言われた通りにやろうと自分を追い込むことが正解じゃない。それなりでいいんだから。」

最初は「社会人ってそんな考えでいいの?」と戸惑いました。でも、その言葉が少しずつ自分の中に馴染んでいくにつれて、肩の力が抜けていく感覚がありました。

「頑張らなきゃいけない」も、誰かが決めた当たり前だったんだと、そのとき気づきました。


「当たり前」を疑いたくても、簡単にはいかない理由

でも正直、「本心を問え」と言われても、それが難しいのが現実です。

組織の中にいると、本音より義務感が先に動きます。「断ったら迷惑をかける」「空気を読まなきゃ」「ここで頑張らないと評価されない」——そういう力が常に働いているから、自分を後回しにすることが"普通"になっていく。

これはつまり、組織に属するということは、構造として自分が後回しになりやすい、ということです。

だから「本心を問う」だけでは、なかなか変わらない。

頭では分かっていても、身体がまだ緊張モードのままだと、義務感の方が勝ってしまうんです。


問いかけより先に、必要なことがある

だからこそ、問いかけより先に必要なことがあります。身体の緊張をゆるめること。

緊張がほどけてくると、自然な変化が起きます。「相手がどうするか」より「私はどうしたいか」が、見えてくるようになる。

そのことを実感したのが、こんな出来事でした。

以前、義務感だけで渡していた「正直苦手な相手への手土産」を思い切ってやめてみたことがあります。するとモヤモヤが消えて、常識から解放されて心からスッキリしました。

それどころか、相手からの思いもよらないサプライズがあって「次は背伸びせずちょっとしたものでも渡そうかな」と、自然に思えるようになったんです。

義務感で動くのをやめたとき、初めて「相手を想って渡す」という本来の気持ちが戻ってきました。

自分へのやさしい問いかけ

選ぶ前に一呼吸おいて、自分にこう問いかけてみてください。

「それは私の本心?」「その決断で喜ぶのは誰?」

これは壁を作ることじゃありません。自分のハンドルを、自分の手に戻す感じです。


ざわついていては、心の声は聞こえない

ざわついていては、自分の心の声は聞こえない。静かで澄み切ったとき、本当の想いは自然と見えてくる。

その静けさは、頑張って作るものじゃありません。無駄な力が抜けた"自然体"の中に、もともとあるものです。

身体が整うとき、まなざしが変わる。まなざしが変わるとき、生き方が変わる。

今日も何かに追われているなら、まずひとつだけ。

「それは私の本心?」

その問いを、自分へのやさしい合図にしてみてください。答えはいつも、自分の中にあります。

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